22歳のアンラッキー

「ふざけやがって!全く、頭にくるぜ!」
などと似てないのにベジータのマネをして惑星の一つでもぶっ潰したい衝動に駆られるものだ。今日のようについてないと、記事の出だしの構成が前回と同じである事すらどうでもよくなってくるのだ。

焼肉の匂いが染み付いていたので
今日に限ってインナーをいつもと違うジャージ(かなり薄い)に決めると
今日に限って関東地方は寒く
今日に限って俺はマフラーを忘れて寒かった。その後
今日に限って何が目的だか知らないが同僚が職場の冷蔵庫のメモリを1まで下げ
今日に限って俺は手袋を冷蔵庫の真下に投げやっており
今日に限って氷が溶け出した冷蔵庫が
今日に限って俺の手袋を水浸しにした。

案の定手袋無しの帰り道は極寒だったが、俺の心だってモスクワですよ。寒い。あぁ舌打ちをしたくなってくるじゃないか。しかしこれではしても罰は当たるまい。
そう、人一倍ついていないと自負する俺は、人一倍舌打ちする機会に恵まれている。しかしながら舌打ちは周りの人も不快にさせると指摘され、脊髄反射のように染み付いていた舌打ちを控えるようになったのが去年の9月頃。しばらく経って意外と意識すれば減るもんだなぁと思い始めたのと同時に、どうも舌打ちしたくなるシチュエーションが増えている事に気付いた。しかも「洗面所で歯ブラシが手元を離れ3回ほど色んな場所にバウンドしながら最後は綺麗に便器に着水する」とか「流しで手を洗おうと水を出したら蛇口の真下の皿が斜めを向いておりドンピシャで俺の顔に水流を導く」とか、どうもわざとらしい。これではまるで太陽と北風が俺に舌打ちをさせようと賭けをしてるかのようじゃないか。許せん、許せんぜ。冗談じゃないぜ。そんな理不尽な舌打ちファクターが働くたびに、俺はあの日のことを思い出すのである。
元々昔から俺はこの種の才があり“ついてない”を芸風としているところが少なからずあった。だが忘れもしないあの日、俺の22歳のバースデー。俺の“アンラッキー具合”は芸風を越え伝説の領域へとシフトしたのだ。
22歳の誕生日は友人が2人、俺のアパートに来て祝ってくれた。買出し担当の友人にとってはホンの余興の心算だったのだろう、ビックリマンチョコが3つケーキやお菓子類にまざったあった。曰く「これをそれぞれ一つ選んでこれから一年の運気を占おうぜ」。つまりヘッドなら縁起が良いという暗示なワケだ。バースデーな俺は一番最初にその3つの中から一つを選んで開けてみた。あの瞬間は未だに忘れられない。
モット苦労ス
と、そう書いてあった。そういう名前のチンケな悪魔のシールだった。ヘッドなら良し、悪魔だと辛い、お守りは微妙、そういう適当な取り決めだったはずだ。なのにこいつは何をこの場にピッタリのメッセージ性を名前に掲げておるのか。そんな志向のシールが一体ビックリマンに何枚あるってんだ、ふざけるな。絵柄から察するにモトクロスと掛けてあるようだが全然笑えないよやり直し。腹を抱えて笑いながら「あんたはやっぱすげーよ」ともんどりうつ友人たちを尻目に便所へ直行、問題のブツは流して捨ててやりました。しかし奴は見事言い当てた。あぁそうさ、苦労……してるさ…。