BRACKET 「REQUIEM」(2)


BRACKETとバンドを名づけたのはNOFXのFAT MIKE。所属するレーベルFAT WRECK CHORDSで一番怠け者だから、というジョークだった*1。しかしながら5年間ものブランクを空けるとはFAT MIKEも予想していなかったろう。
ファンにとって空白の5年が先日Transformonlineに掲載されたインタビューでようやく明らかになった。
http://www.transformonline.com/music/index.php

まず2000年の「When All Else Fails」発売後、FAT MIKEからライブアルバムの要請があった。収録曲もFAT MIKEからリクエストがあったためその曲のみを数ヶ月間練習し、きっちりライブアルバムを完成させる。これが「Live in a Dive」(02年)。その後自分たちのスタジオ設立工事へ着工。Marty(ギター/ボーカル)の父のトレーラーハウスを建て直して行われた。機材を買い込んだりレコーディングの手順を確立させるまでの全てのプロセスで1年半
が費やされたが準備は整った。しかしいざレコーディングというところでRay(ドラム)がデンバーへ引越す。仕事で已む無く、だった。

メンバー一同これには相当まいったようだが、新しいドラマーは考えなかったし苦労してスタジオを作った後に解散なんてもっての他だった。そこで出した答えは現状を維持すること。Angelo(ギター)とMartyが曲を書きデモを作り*2、遠くデンバーのRayの元へ送る。Rayが曲を聞き、リハーサル用のドラムを録音して送り返し…と長い肯定と予想以上の時間を経てようやく、初のセルフプロデュースとなるアルバム「REQUIEM」は完成となる。

早速FAT WRECK CHORDSへ音源を送るが数ヵ月後に送り返されてくる。驚いた事にFATからは発売できないと言われたのだ。自ら苦心の末に作り出し、傑作と信じて疑わないアルバムだった。持てる物は全て持ち込んだはずだ。これを撥ねられたことで「FATきっての曲者」BRACKETはFATと袂を分かつ。FATにいながらもバンドの輪には入っていなかった、どこか自分たちはよそ者だった、とAngeloは心情を吐露する。なるほど彼らの音はFATでは明らかに浮いている。

どのレーベルにアプローチすべきか悩んでいたところ、myspaceで音源を聞いたTAKEOVERから声がかかる。余りに多くの紆余曲折を経て「REQUIEM」は日の目を見る事となった。FATに音源を送ってから何故数ヶ月も待たされたのか、AngeloはFAT MIKEがツアー中で聞く暇がなかったのかもしれないし、ひょっとすると「好きじゃない」と言い難くて答えを先延ばしにしてたのかもしれない、という。FAT MIKEが素直に「YES」と言えないアルバム、と考えると一層面白く聞こえる。

今後は「遠隔地勤務ドラマーRay」がどうにかなれば(笑)ライブもやりたい*3そうだし、実際に新曲も書いている。メンバー各々仕事があるし、「商業的成功」なんて求めていないが、飽きられないようアルバムを出し続けたいとのこと。

とりあえずこれ以上の沈黙はなさそうだ。

*1:BRACKETでカッコという意味

*2:Martyがドラムも叩いた

*3:The Muffsが大好きなので一緒にやりたいらしい